「よォ、ずいぶん遅いお帰りだな、検事さん」
狼が玄関先でそう言って出迎えると、やけにホクホク顔で帰って来た御剣の表情はたちまちハの字眉に一変した。
「ム、すまない。その…食事はどうしただろうか?」
「今から始めるところだぜ。腹を空かせたオオカミの前に、ちょうど獲物が現れたんでね」
狼の剣呑な雰囲気に、御剣が少し怯む。
「悪いがオアズケは性に合わねえんだ」
「な・・・?! 痛い! ロウ、放し・・・・・・ッ!!」
腕を掴まれ、引きずるようにして寝室に連れて来られた御剣は、ベッドの上に乱暴に突き放された。その拍子に自分の腕で胸を強く打ってしまい、声も出せずに身悶える。
そこへ狼はのしかかって来ると、常とは違う冷めきった目つきで御剣の服を剥ぎ取り始めた。
俯せの状態で腕を後ろ手に捻りあげられ、睫毛に絡まっていた涙がこぼれ落ちる。
これまで性急に求められることはあっても、乱暴に扱われたことはなかった。
狼は御剣をまるで壊れ物ででもあるかのように接してきたのだ。
怯えさせないように、傷付けないように。
そのためにどれだけの忍耐を自分に課してきたのだろう。
これはきっと、そんな狼の優しさに甘えていたツケが回ってきたに違いない。
「うっ・・・く・・・・・・ッ!」
背中のくぼみを膝で押さえ付けられ、その苦痛に思わず上がりそうになった悲鳴を、御剣は口唇を噛むことで堪えた。
額にびっしりと浮かんだ冷たい汗が、涙と共に枕に吸われていく。
体格差はほとんどないが、実戦で鍛えられた狼が御剣の動きを封じることなど実にたやすく、そして、最小限の力で最大限の苦痛を与える方法にも精通していた。
掴まれた手首と肩が軋みをあげ、今にも骨が砕けてしまいそうだ。
きつく目を閉じ、口唇を噛み締めた御剣の顔は蒼白を通り越して紙のように白くなっていた。
「・・・・・・・・・・・・どうして何も言わねえんだ?! いつものアンタなら、こんなことされて黙ってるワケねえだろ! オレの相手をするのもバカらしくなったか?」
狼の力が不意に緩んで、掴まれていた左腕は慣性のままパタリと毛布に落ちた。
「な・・・ぜ・・・そんなことを言うのだ?」
素早く身を起こした御剣は、自嘲気味に嗤う狼の胸倉を掴んだ。
涙の溜まった眼でギロリと相手を睨み、噛み付く勢いで怒鳴り付ける。
「アナタが私に何をしようと構わない。だが、私の気持ちを疑うことだけは絶対に許さないからな!!」
狼はぞくりと身震いした。
手に入れたい。征服したい。そんな雄の本能を駆り立てる怜悧な眼差し。
相手も同じ欲望を持っていると分かっているからこそ、余計に囚われる。
おまけにプライドの高い人間が真心をさらけ出し、相打ちも厭わずに追い込んで来るのだから堪らない。
こんなに一途で深い情を疑っていては、罰が当たるというものだ。
人間不信にもホドがある。
「怜侍・・・・・・」
狼は両手を広げて、御剣を抱きしめた。
「ム・・・アナタの懸念は実にバカバカしいものであると理解したかね?」
狼の肩にグリグリと額を押し付けながら御剣が言う。
甘えているのか怒っているのか判断に悩むところだが、案外、本人もどうしたらいいのか決めあぐねているのかも知れない。
痛めただろう左肩のあたりを摩ってやっていると、御剣は手を伸ばして狼の襟足で遊び出し、ついでに耳までかじられた。
「うム、やはりこれでは腹の足しにならんな。ロウ捜査官、検察は貴殿に夕食当番を求刑する」
ひとつとは言え年上なのだから、何事も寛大に受け止めてやらねばと考えていたのだが、その点に於いてはどうやらこの可愛い恋人の方が上手だったようだ。
「ったく、アンタには敵わねえよ」
深夜2時。
御剣は温かなベッドからソロソロと抜け出すと、しんと冷えたリビングに向かった。
お気に入りのソファーの背もたれに、狼の上着が無造作に掛けられている。
それに近付くと、御剣はいくつもあるポケットを上からペタペタと触り、目当ての物を探していった。
「ム・・・これ・・・は違うな」
形を頼りに引っ張り出してみたが、最新型のスマートフォンに用はない。すぐに元の場所に戻すと、些か後ろめたい行動を再開した。
「ん? これか?」
薄い長方形の感触。折りたたみ式の携帯は、御剣にも馴染み深い日本製だ。
落ち着いたシルバーのそれは、狼が御剣専用にと購入した物だった。
恥ずかしいからヤメロと言ったのに、小洒落た書体のアルファベットのシールは相変わらずベタリと貼られたままだった。文字はもちろん「R.M」――言うまでもなく「Reiji Mitsurugi」のイニシャルだ。
「こいつをアンタと思って、肌身離さず連れ廻すぜ」
ふと、そんな台詞を思い出してしまい、御剣の顔が一気に赤く染まる。
「私だって・・・出来るならずっと一緒にいたいんだ・・・」
小声でぽつりと呟いた本音は、冬の冷たい空気に吸い込まれる。
少しかじかんできた手でパジャマの胸ポケットから懸命に作ったトノサマンを取り出すと、御剣はそれをジッと見つめた。
「キミに頼んでもいいだろうか。ロウを私の元に・・・無事に帰してくれるように」
そう言うと、まだ何も付いていなかったストラップ穴にトノサマンの紐を通した。
もそもそと落ち着かない様子だった御剣が寝室を出て行くと同時に、狼はパチリと目を開けた。
素人の御剣とは違う。狼は足音はおろか気配さえも完璧に殺して、恋人の後を追った。
寝室のドアを少しだけ開けて、様子を窺ってみる。
御剣はリビングの間接照明だけを点すと、狼の上着をペタペタと探り始めた。
おいおい、何やってんだ!?
これが他の人間ならスパイかと疑って真っ先に銃口を突き付けているところだが、御剣に限ってはその心配は必要ない。
浮気を疑ってるとか?
「違うな・・・」
御剣の不可解な行動に狼がぐるぐるしていると、ボソリとそんな声が聞こえた。
取り出したスマートフォンを、画面を見もせずにポケットに戻している。
御剣はさらにペタペタを繰り返し、その手がついに胸の内ポケットを探り当てた。「ん? これか?」と呟いている。
出て来たのは狼が御剣と連絡を取るためだけに購入した日本の携帯電話だ。
滑らかな光沢を持つ上品なシルバーは、どこか恋人に似て美しい。本人に対してと同様、一目惚れした代物だ。
狼の位置からは御剣の背中しか見えなかったが、何故か照れたような気配が感じられた。
一緒に携帯ショップへ行った時のことでも思い出しているのだろうか。
淡いピンクのパジャマ姿でペタリと床に座り込んでいるだけでも可愛いのに、恥じらいというオプションまでサービスしてくれるとは。
眼福すぎて心臓がオーバーヒートを起こしそうだ。
狼はスルリとドアを抜けると、御剣の背後に陣取った。
恋人は手元の作業に夢中で、こちらには気付いていない。
「私の代わりに、どうかロウを護ってくれたまえ」
「――――ッ!」
何をしているのかと御剣の頭越しにその手元を見ていた狼は、聞こえてきた言葉に鋭く息を吸い込んだ。
「フッ・・・アンタには敵わねぇな」
「なッ! いつからそこに?!」
不意に背中から抱きしめられて、御剣は狼狽のあまりビクリと肩を震わせた。
頬だけでなく耳や首まで赤く染め、口をパクパクさせている。
「ん? アンタがそいつにオネガイしてるとこから」
狼が携帯に取り付けられたトノサマンを指差すと、御剣は何故か罪悪感に駆られたような顔をしてうなだれた。
「勝手なことをしてすまない。すぐ外すから・・・」
そう言ってストラップを外そうと朱い紐に掛けられた指を、狼はギュッと握り込んだ。
「俺のために一生懸命作ってくれたんだろ?」
耳元で囁くと、御剣がコクンと小さく頷いた。
夕べ狼が完成させた物と違うのは、一目瞭然だった。使われているビーズの色も、携帯に結ばれた紐の色も異なっていたからだ。
黒、青、赤、白・・・ビーズはどれもキットの物とは比ぶべくもないほど鮮やかだ。朱色の紐は絹糸を縒って作られた品だろう。
朝早くから何処かへ出掛けて行ったかと思えば、夕飯時までこれに掛かり切りだったわけだ。
御剣がこの小さなトノサマンに託した想いを知って、狼は感動にうち震えていた。
危険な任務の多い狼の身を案じていることを、感情表現の苦手な御剣なりの方法で示してくれたのだろう。
そこまで考えて、狼はハタッと我に返った。
顔から音を立てて血の気が引いていく。
――なんてこった!ブチ壊したのは俺の方じゃねえか!!
顔を強張らせて黙り込んでしまった狼を目にし、気分を害したのだと勘違いした御剣は長い睫毛をじわりと濡らした。
「すまない。貴方の意見も聞かず、こんなことをして・・・迷惑だと・・・解っていたはずなのに・・・」
再びストラップを外そうと動かされる手。
狼は慌ててその手を掴むと、白くすらりとした指に己れの指を絡めた。
「なぁ、気付いるか? アンタ、俺がここに来てからずっと“すまない、すまない”ってソレばっかりだぜ」
「すま・・・」
「だから謝るなって。言わなきゃいけねえのは、むしろオレの方なんだ」
「何故だ? アナタは何もしていない」
「いいや。アンタの気持ちを無駄にしちまった。しかも、それに気付かずにアンタを傷付けるマネまでやらかした。最低だな・・・殴っていいぞ、ほら」
御剣を抱えるようにして向かい合う体勢にすると、絡めたままだった手を持ち上げて頬を差し出した。
「違う、私が勝手にやっただけだ。アナタは何も悪くない!」
イヤイヤをするように首を振って、御剣は目をギュッとつぶってしまう。
自嘲に歪んだ狼の顔など見たくはなかった。
「アンタは優しいな、怜侍」
繋いだ右手はそのままに、空いた左手でサラサラと前髪を梳いてやりながら頭を引き寄せると、御剣は大人しく肩口にもたれ掛かってきた。
「ム、そんなことは・・・ない・・・」
「ふーん? じゃあ、俺にだけ優しいってワケだな」
「う・・・そんなこともな・・・・・・んんッ!」
ない、と言おうとした唇は、狼によって目一杯塞がれた。
「ん・・・ゃ・・・・・・あっ・・・」
グレイッシュトーンのクォーツを思わせる双眸が甘く潤む。
日頃の怜悧さが影を潜め、艶めいた眼差しが狼を煽る。
密度の濃い象牙の肌はしっとりと濡れて過敏になり、狼の付けた印を鮮やかに留めていく。
広い肩から背骨を伝い、細い腰まで手を滑らせれば、それだけでふるりと震えて熱い吐息を零した。
熟した果実の実る胸を突き出すようにして身体を橈ませる様はいかにもエロティックで歯止めが効かなくなる。
「あ・・・ぁ・・・ロウ・・・・・・ロウ・・・もっと・・・・・・」
とろんとした口調で強請られて、狼の下半身は素直に反応した。
体内で凶暴さを増した雄に、御剣の媚肉が悦ぶ。ひくひくと蠢く内壁が男をより一層強く締め付け、更に奥深く穿って欲しいと引き込んでいく。
「はぁ・・・ぁ・・・んぁ・・・・・・」
荒い呼吸の合間に紅をなすったかのような唇を思わせぶりに舐める仕草や淫らに動く細い腰が狼を翻弄した。
『昼は淑女、夜は娼婦』なんて陳腐な言葉が頭を過ぎる。
「――――痛ッ!!」
胸に鋭い痛みを感じて思わず声を上げれば、御剣の悪戯な指が狼の乳嘴をキリキリと摘み上げていた。
色欲と涙に濡れた目で、じっと狼の顔を見詰めている。
少し不安げで、それでいて狼の分心を詰る視線だ。
「ククッ・・・姫君は御不満なようだな」
御剣の腕を掴んで引き寄せ、倒れ込んできた白い身体を抱きしめると、狼は感じやすい耳の後ろを擽ってやりながら耳朶に歯を立てた。
「んん・・・・・・ッ!」
腕の中でしなやかな背中が妖しく身悶える。同時にまたキュウキュウと雄を締め付られて、狼も堪らず呻いた。
「・・・っんとに・・・アンタは・・・堪んねえぜ・・・・・・」
どんな極上の美酒でも、これほどの酩酊感を与えてはくれまい。
狼は御剣の腰を掴むと己れが抜け落ちるぎりぎりまで持ち上げ、それから一息に引きずり落とした。
「や、あっ、あぁぁぁ・・・・・・ッ!」
内壁を荒々しく刔られ、強すぎる刺激にあられもない声を発しながら、御剣は喜悦を迸しらせた。精蜜が互いの腹をべったりと汚したが、とても頓着していられる状態ではなかった。
射精を遂げ最も敏感になった瞬間を狙いすましたかのように、狼が御剣の最奥へと放ったからだ。
「んぁ・・・あ・・・あ・・・・・・」
あまりに感じ過ぎて怖くなった御剣は狼にしがみつこうと手を伸ばす。
彷徨うその手を捕まえて荒い息を吹き掛け、ペろりと舐めてやれば、ビクッと戦いた後に縋り付いてきた。
「怖がるなよ。オレはアンタのモンだ」
欲しくて手を伸ばすのに、いざ差し出されると果たして自分が受け取っていいものかと後込みする。
手酷く裏切られた過去が、御剣を臆病にしているのかも知れないが。
「欲しいなら、しっかり掴んどけ」
そう言ってやると、御剣の手にギュッと力が篭った。
「まあ、アンタが要らないと言ってもオレは手放す気はないからな。覚悟しとけよ、怜侍」
首筋に顔を埋めて汗と香水の混じった匂いに恍惚としながら、狼の背中を好き放題に撫でていた御剣はピタリと動きを止めた。
むくりと形のいい頭を起こすと、両手で狼の頬を挟み、まじまじとその眼を覗き込む。
そして、あの法廷で見せる自信に満ちた勝気な笑みを浮かべた。
「・・・・・・・・・・・・フン、宣戦布告か? 百年早いぞ、ロウ捜査官」
「百年後なら受けてくれんのか、検事さんよ?」
「うム、考えておいてやる」
数日後。
柔らかな笑顔で着信を受ける御剣の携帯には、狼が作ったトノサマンが揺れていた。
狼が玄関先でそう言って出迎えると、やけにホクホク顔で帰って来た御剣の表情はたちまちハの字眉に一変した。
「ム、すまない。その…食事はどうしただろうか?」
「今から始めるところだぜ。腹を空かせたオオカミの前に、ちょうど獲物が現れたんでね」
狼の剣呑な雰囲気に、御剣が少し怯む。
「悪いがオアズケは性に合わねえんだ」
「な・・・?! 痛い! ロウ、放し・・・・・・ッ!!」
腕を掴まれ、引きずるようにして寝室に連れて来られた御剣は、ベッドの上に乱暴に突き放された。その拍子に自分の腕で胸を強く打ってしまい、声も出せずに身悶える。
そこへ狼はのしかかって来ると、常とは違う冷めきった目つきで御剣の服を剥ぎ取り始めた。
俯せの状態で腕を後ろ手に捻りあげられ、睫毛に絡まっていた涙がこぼれ落ちる。
これまで性急に求められることはあっても、乱暴に扱われたことはなかった。
狼は御剣をまるで壊れ物ででもあるかのように接してきたのだ。
怯えさせないように、傷付けないように。
そのためにどれだけの忍耐を自分に課してきたのだろう。
これはきっと、そんな狼の優しさに甘えていたツケが回ってきたに違いない。
「うっ・・・く・・・・・・ッ!」
背中のくぼみを膝で押さえ付けられ、その苦痛に思わず上がりそうになった悲鳴を、御剣は口唇を噛むことで堪えた。
額にびっしりと浮かんだ冷たい汗が、涙と共に枕に吸われていく。
体格差はほとんどないが、実戦で鍛えられた狼が御剣の動きを封じることなど実にたやすく、そして、最小限の力で最大限の苦痛を与える方法にも精通していた。
掴まれた手首と肩が軋みをあげ、今にも骨が砕けてしまいそうだ。
きつく目を閉じ、口唇を噛み締めた御剣の顔は蒼白を通り越して紙のように白くなっていた。
「・・・・・・・・・・・・どうして何も言わねえんだ?! いつものアンタなら、こんなことされて黙ってるワケねえだろ! オレの相手をするのもバカらしくなったか?」
狼の力が不意に緩んで、掴まれていた左腕は慣性のままパタリと毛布に落ちた。
「な・・・ぜ・・・そんなことを言うのだ?」
素早く身を起こした御剣は、自嘲気味に嗤う狼の胸倉を掴んだ。
涙の溜まった眼でギロリと相手を睨み、噛み付く勢いで怒鳴り付ける。
「アナタが私に何をしようと構わない。だが、私の気持ちを疑うことだけは絶対に許さないからな!!」
狼はぞくりと身震いした。
手に入れたい。征服したい。そんな雄の本能を駆り立てる怜悧な眼差し。
相手も同じ欲望を持っていると分かっているからこそ、余計に囚われる。
おまけにプライドの高い人間が真心をさらけ出し、相打ちも厭わずに追い込んで来るのだから堪らない。
こんなに一途で深い情を疑っていては、罰が当たるというものだ。
人間不信にもホドがある。
「怜侍・・・・・・」
狼は両手を広げて、御剣を抱きしめた。
「ム・・・アナタの懸念は実にバカバカしいものであると理解したかね?」
狼の肩にグリグリと額を押し付けながら御剣が言う。
甘えているのか怒っているのか判断に悩むところだが、案外、本人もどうしたらいいのか決めあぐねているのかも知れない。
痛めただろう左肩のあたりを摩ってやっていると、御剣は手を伸ばして狼の襟足で遊び出し、ついでに耳までかじられた。
「うム、やはりこれでは腹の足しにならんな。ロウ捜査官、検察は貴殿に夕食当番を求刑する」
ひとつとは言え年上なのだから、何事も寛大に受け止めてやらねばと考えていたのだが、その点に於いてはどうやらこの可愛い恋人の方が上手だったようだ。
「ったく、アンタには敵わねえよ」
深夜2時。
御剣は温かなベッドからソロソロと抜け出すと、しんと冷えたリビングに向かった。
お気に入りのソファーの背もたれに、狼の上着が無造作に掛けられている。
それに近付くと、御剣はいくつもあるポケットを上からペタペタと触り、目当ての物を探していった。
「ム・・・これ・・・は違うな」
形を頼りに引っ張り出してみたが、最新型のスマートフォンに用はない。すぐに元の場所に戻すと、些か後ろめたい行動を再開した。
「ん? これか?」
薄い長方形の感触。折りたたみ式の携帯は、御剣にも馴染み深い日本製だ。
落ち着いたシルバーのそれは、狼が御剣専用にと購入した物だった。
恥ずかしいからヤメロと言ったのに、小洒落た書体のアルファベットのシールは相変わらずベタリと貼られたままだった。文字はもちろん「R.M」――言うまでもなく「Reiji Mitsurugi」のイニシャルだ。
「こいつをアンタと思って、肌身離さず連れ廻すぜ」
ふと、そんな台詞を思い出してしまい、御剣の顔が一気に赤く染まる。
「私だって・・・出来るならずっと一緒にいたいんだ・・・」
小声でぽつりと呟いた本音は、冬の冷たい空気に吸い込まれる。
少しかじかんできた手でパジャマの胸ポケットから懸命に作ったトノサマンを取り出すと、御剣はそれをジッと見つめた。
「キミに頼んでもいいだろうか。ロウを私の元に・・・無事に帰してくれるように」
そう言うと、まだ何も付いていなかったストラップ穴にトノサマンの紐を通した。
もそもそと落ち着かない様子だった御剣が寝室を出て行くと同時に、狼はパチリと目を開けた。
素人の御剣とは違う。狼は足音はおろか気配さえも完璧に殺して、恋人の後を追った。
寝室のドアを少しだけ開けて、様子を窺ってみる。
御剣はリビングの間接照明だけを点すと、狼の上着をペタペタと探り始めた。
おいおい、何やってんだ!?
これが他の人間ならスパイかと疑って真っ先に銃口を突き付けているところだが、御剣に限ってはその心配は必要ない。
浮気を疑ってるとか?
「違うな・・・」
御剣の不可解な行動に狼がぐるぐるしていると、ボソリとそんな声が聞こえた。
取り出したスマートフォンを、画面を見もせずにポケットに戻している。
御剣はさらにペタペタを繰り返し、その手がついに胸の内ポケットを探り当てた。「ん? これか?」と呟いている。
出て来たのは狼が御剣と連絡を取るためだけに購入した日本の携帯電話だ。
滑らかな光沢を持つ上品なシルバーは、どこか恋人に似て美しい。本人に対してと同様、一目惚れした代物だ。
狼の位置からは御剣の背中しか見えなかったが、何故か照れたような気配が感じられた。
一緒に携帯ショップへ行った時のことでも思い出しているのだろうか。
淡いピンクのパジャマ姿でペタリと床に座り込んでいるだけでも可愛いのに、恥じらいというオプションまでサービスしてくれるとは。
眼福すぎて心臓がオーバーヒートを起こしそうだ。
狼はスルリとドアを抜けると、御剣の背後に陣取った。
恋人は手元の作業に夢中で、こちらには気付いていない。
「私の代わりに、どうかロウを護ってくれたまえ」
「――――ッ!」
何をしているのかと御剣の頭越しにその手元を見ていた狼は、聞こえてきた言葉に鋭く息を吸い込んだ。
「フッ・・・アンタには敵わねぇな」
「なッ! いつからそこに?!」
不意に背中から抱きしめられて、御剣は狼狽のあまりビクリと肩を震わせた。
頬だけでなく耳や首まで赤く染め、口をパクパクさせている。
「ん? アンタがそいつにオネガイしてるとこから」
狼が携帯に取り付けられたトノサマンを指差すと、御剣は何故か罪悪感に駆られたような顔をしてうなだれた。
「勝手なことをしてすまない。すぐ外すから・・・」
そう言ってストラップを外そうと朱い紐に掛けられた指を、狼はギュッと握り込んだ。
「俺のために一生懸命作ってくれたんだろ?」
耳元で囁くと、御剣がコクンと小さく頷いた。
夕べ狼が完成させた物と違うのは、一目瞭然だった。使われているビーズの色も、携帯に結ばれた紐の色も異なっていたからだ。
黒、青、赤、白・・・ビーズはどれもキットの物とは比ぶべくもないほど鮮やかだ。朱色の紐は絹糸を縒って作られた品だろう。
朝早くから何処かへ出掛けて行ったかと思えば、夕飯時までこれに掛かり切りだったわけだ。
御剣がこの小さなトノサマンに託した想いを知って、狼は感動にうち震えていた。
危険な任務の多い狼の身を案じていることを、感情表現の苦手な御剣なりの方法で示してくれたのだろう。
そこまで考えて、狼はハタッと我に返った。
顔から音を立てて血の気が引いていく。
――なんてこった!ブチ壊したのは俺の方じゃねえか!!
顔を強張らせて黙り込んでしまった狼を目にし、気分を害したのだと勘違いした御剣は長い睫毛をじわりと濡らした。
「すまない。貴方の意見も聞かず、こんなことをして・・・迷惑だと・・・解っていたはずなのに・・・」
再びストラップを外そうと動かされる手。
狼は慌ててその手を掴むと、白くすらりとした指に己れの指を絡めた。
「なぁ、気付いるか? アンタ、俺がここに来てからずっと“すまない、すまない”ってソレばっかりだぜ」
「すま・・・」
「だから謝るなって。言わなきゃいけねえのは、むしろオレの方なんだ」
「何故だ? アナタは何もしていない」
「いいや。アンタの気持ちを無駄にしちまった。しかも、それに気付かずにアンタを傷付けるマネまでやらかした。最低だな・・・殴っていいぞ、ほら」
御剣を抱えるようにして向かい合う体勢にすると、絡めたままだった手を持ち上げて頬を差し出した。
「違う、私が勝手にやっただけだ。アナタは何も悪くない!」
イヤイヤをするように首を振って、御剣は目をギュッとつぶってしまう。
自嘲に歪んだ狼の顔など見たくはなかった。
「アンタは優しいな、怜侍」
繋いだ右手はそのままに、空いた左手でサラサラと前髪を梳いてやりながら頭を引き寄せると、御剣は大人しく肩口にもたれ掛かってきた。
「ム、そんなことは・・・ない・・・」
「ふーん? じゃあ、俺にだけ優しいってワケだな」
「う・・・そんなこともな・・・・・・んんッ!」
ない、と言おうとした唇は、狼によって目一杯塞がれた。
「ん・・・ゃ・・・・・・あっ・・・」
グレイッシュトーンのクォーツを思わせる双眸が甘く潤む。
日頃の怜悧さが影を潜め、艶めいた眼差しが狼を煽る。
密度の濃い象牙の肌はしっとりと濡れて過敏になり、狼の付けた印を鮮やかに留めていく。
広い肩から背骨を伝い、細い腰まで手を滑らせれば、それだけでふるりと震えて熱い吐息を零した。
熟した果実の実る胸を突き出すようにして身体を橈ませる様はいかにもエロティックで歯止めが効かなくなる。
「あ・・・ぁ・・・ロウ・・・・・・ロウ・・・もっと・・・・・・」
とろんとした口調で強請られて、狼の下半身は素直に反応した。
体内で凶暴さを増した雄に、御剣の媚肉が悦ぶ。ひくひくと蠢く内壁が男をより一層強く締め付け、更に奥深く穿って欲しいと引き込んでいく。
「はぁ・・・ぁ・・・んぁ・・・・・・」
荒い呼吸の合間に紅をなすったかのような唇を思わせぶりに舐める仕草や淫らに動く細い腰が狼を翻弄した。
『昼は淑女、夜は娼婦』なんて陳腐な言葉が頭を過ぎる。
「――――痛ッ!!」
胸に鋭い痛みを感じて思わず声を上げれば、御剣の悪戯な指が狼の乳嘴をキリキリと摘み上げていた。
色欲と涙に濡れた目で、じっと狼の顔を見詰めている。
少し不安げで、それでいて狼の分心を詰る視線だ。
「ククッ・・・姫君は御不満なようだな」
御剣の腕を掴んで引き寄せ、倒れ込んできた白い身体を抱きしめると、狼は感じやすい耳の後ろを擽ってやりながら耳朶に歯を立てた。
「んん・・・・・・ッ!」
腕の中でしなやかな背中が妖しく身悶える。同時にまたキュウキュウと雄を締め付られて、狼も堪らず呻いた。
「・・・っんとに・・・アンタは・・・堪んねえぜ・・・・・・」
どんな極上の美酒でも、これほどの酩酊感を与えてはくれまい。
狼は御剣の腰を掴むと己れが抜け落ちるぎりぎりまで持ち上げ、それから一息に引きずり落とした。
「や、あっ、あぁぁぁ・・・・・・ッ!」
内壁を荒々しく刔られ、強すぎる刺激にあられもない声を発しながら、御剣は喜悦を迸しらせた。精蜜が互いの腹をべったりと汚したが、とても頓着していられる状態ではなかった。
射精を遂げ最も敏感になった瞬間を狙いすましたかのように、狼が御剣の最奥へと放ったからだ。
「んぁ・・・あ・・・あ・・・・・・」
あまりに感じ過ぎて怖くなった御剣は狼にしがみつこうと手を伸ばす。
彷徨うその手を捕まえて荒い息を吹き掛け、ペろりと舐めてやれば、ビクッと戦いた後に縋り付いてきた。
「怖がるなよ。オレはアンタのモンだ」
欲しくて手を伸ばすのに、いざ差し出されると果たして自分が受け取っていいものかと後込みする。
手酷く裏切られた過去が、御剣を臆病にしているのかも知れないが。
「欲しいなら、しっかり掴んどけ」
そう言ってやると、御剣の手にギュッと力が篭った。
「まあ、アンタが要らないと言ってもオレは手放す気はないからな。覚悟しとけよ、怜侍」
首筋に顔を埋めて汗と香水の混じった匂いに恍惚としながら、狼の背中を好き放題に撫でていた御剣はピタリと動きを止めた。
むくりと形のいい頭を起こすと、両手で狼の頬を挟み、まじまじとその眼を覗き込む。
そして、あの法廷で見せる自信に満ちた勝気な笑みを浮かべた。
「・・・・・・・・・・・・フン、宣戦布告か? 百年早いぞ、ロウ捜査官」
「百年後なら受けてくれんのか、検事さんよ?」
「うム、考えておいてやる」
数日後。
柔らかな笑顔で着信を受ける御剣の携帯には、狼が作ったトノサマンが揺れていた。
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